日笠雅水先生
2007.06.21(01:40)
アンアンで有名になった手相観(テソーミ)、日笠雅水先生にお会いしたのは98年の夏でした。元YMOのマネージャーでもあり、細野晴臣さんが新しいプロジェクトのためにアーティストを捜している時に高橋ユキヒロさんと坂本龍一さんを勧めたのも日笠先生だそう。
その頃の僕はもうすでに占い師として仕事をしていたのでちょっと恥ずかしかったけれど、有名な先生にお会いできるチャンスに心を躍らせながらテソーミルームを訪ねました。原宿の南側、いわゆる「うらはら」というロケーションからしていい感じ。
先生の印象を一言で表すと、ソフトな雰囲気とシャープな雰囲気を両方持った方ということになります。不思議な表現だけど、他にぴったりした言葉が思いつきません。
僕がおそるおそる自分の仕事について、占い師とライターをしていることをお話すると、先生は少しも驚かず、とてもソフトな声で答えてくださいました。
「そうなの。ボクの占いはいくらするの? あらあ、そう」
すみません、「ボク」と呼ばれるような年齢はとっくに過ぎているんですが…(当時29歳)
でも、なんだか嬉しくなるような言葉だったりして。
実はですね、アメリカ人男性の恋人がいるんですけれど…(これは元彼のこと)
「絶対にそうだと思っていた!」
あまりにはっきり言われたので驚きました。男友達を表す線とともに、外国との縁を表す線、連れ合い線、お助け線と呼ばれる線がでているのだとか。その時から先生の口調は突如としてシャープなモードに切り替わりました。
「彼はアメリカに住んでいるの? え、これから香港に転勤? あなた! 香港なんてもう国内旅行よ! 彼にチケットおねだりして香港に行っちゃいなさいよ!」
うーん、それは行きたいのはやまやまなんですが。占いの仕事もライターの仕事もあれこれと大変で。向こうで暮らすとなるとビザとかなんとか難しい事が。
「この線は生涯の終わりを指すの!
27、28、29、30…
あなた、30歳の7月に香港に移住よ!」
細い棒で僕の運命線をチクチクとつつきながら、先生はそう断言されました。
行ければいいなあ、というくらいにぼんやり考えているうちに半年が過ぎました。翌年の2月、仕事があまりに忙しくてぼろぼろになって、つかの間の休暇を取って香港を訪ねると、香港の街と大恋愛をしてしまい、4月には本当に日本での生活のすべてを捨てて香港に行ってしまいました。
チケットは彼におねだりするまでもなく、香港行きの片道航空券に充分なマイルが貯まっていたので、成田ーグアムー香港という珍しいルートで香港入り。30歳の4月、先生の占いよりも数ヶ月早く実現した香港移住でありました。
当時の彼は香港にマンションがあったものの、実際には全然香港にいなくて世界中を飛び回っている人でした。僕が香港に移り住んですぐに彼はシドニーに転勤になり、東京・ニューヨーク間の遠距離恋愛が、香港・シドニー間の遠距離恋愛になるというあまりに皮肉なドラマも起りましたが、憧れの街香港で暮らしたことが、僕にどれだけの自信を与えてくれたか判りません。
手相というのは、未だに良く判りませんが、今ふと手を見たらお助け線の数が1本から5本に増えているのを発見いたしました。
↓やった!
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