星占い&幸せのヒント「ジーニーの助けてエンジェル」

亡くなった母が僕に最期に語った言葉は 「看護婦さんが見てくれているから大丈夫よ」 というものでした。


当時の僕はセッションで非常に忙しく、ワーク・ショップなどの予定も入っていて、母の余命が数週間と知らされた後もそのスケジュールを変えるわけにはいかなかったのです。


日本中からたくさんの方が毎日のように、新幹線や飛行機で来てくださるのですし、ワーク・ショップのチケットがすでに販売されていて、僕が予定を変えたらとても多くの方に多大な迷惑をかけることになるのは目に見えていたからです。


父には「なんとかそのワーク・ショップは取りやめにできないのか?」と言われましたが、僕にとってはそのワーク・ショップがとても大切なものになるのを知っていたので、予定を変更しようという気持ちはまったく起こりませんでした。


忙しい日々に急に時間があいて、片道何時間もかかる場所にある母を最後に訪ねたとき、母は自分の死期を悟っていたようでした。


これは母と僕とのふたりだけの秘密なのでお話できませんが、僕は母に「あるふたつのこと」を約束したのでした。何年かかかりましたが、その約束はふたつとも果たすことができて、自分なりに満足しております。


母が亡くなってからというもの、それは想像を絶するほど大変な日々が続きましたが、通夜、告別式の日取りも含めてすべてが奇跡のようにうまく運びました。


近所の公民館を借りて、母の好きな花で一杯の会場に驚くほどたくさんの方が弔問に来てくださって、葬儀社の方も「普通の主婦の方の葬儀に200名もの方が来られるのは珍しい」と驚いていたほどです。


父と兄と僕の三人で「お母さんのお墓はいらない」と決めたので、読経は僕が個人的に知っていて尊敬している僧侶さんが特別に来てくださることになりました。その時のお経は素晴らしい声で、魂の底から浄化されるようなもので、僕は生まれてはじめてお経に感動したほどです。


焼香の際にも、出棺のときにも、ずっと音楽が流れていました。母の好きだった美空ひばりさんのCDを父と兄が用意していたのです。僕は個人的に「母が一番好きだったのは、美空ひばりさんよりも雪村いづみさんだったのになあ」と密かに思いましたが… 


親戚一同はもちろん、母と親しくしていた近所の友人たちも、中学時代の同級生たちも集まって別れを惜しんでくださいました。


僕の希望もあって、何しろたくさんの花と一緒に母を送り出すことができたのは、葬儀社さんが八方手を尽くしてくださったおかげです。ブバリアという最近ではあまり見なくなった花が飾られていたのですが、これは母本人のリクエストでした。


遺影から花まで自分で事前に決めていた母には、本当に驚きましたが、季節外れだったブバリアの花をなんとか取り寄せていただけたのは本当に嬉しい出来事でした。実は、その僧侶さんは華道の世界でも素晴らしい活躍をされている方でもあったのです。


ブバリアの花は、母が結婚式の時に手にしたブーケの花で、その当時は結婚式用に人気があった花だったようです。後日僧侶さんとお茶を飲んだときに、ブバリアの花を見て驚かれたと言われました。僕の方も、ブバリアをご存知の方が母のためにお経を読んでくださったことに、大感激でした… 


なんとも型破りな葬儀だったのですが、後からたくさんの方が「とてもいいお葬式だった」と言ってくださいました。世の中に「いいお葬式だった」などということがあるのかと思いましたが、その言葉のお陰で僕は本当に救われた思いでした。


僕がつたない喪主を務めましたが、お葬式はひとりでできるものではないことを痛感いたしました。本当にたくさんの方が母を見送るために助けてくださったのです。


母が病気で倒れてから亡くなるまでの僕は、なにも立派なことはできませんでした。でも、何週間も前からセッションやワーク・ショップを楽しみにしてくださっている方がいらっしゃったので、見舞いにもなかなかいけないことを母はよく理解してくれていたようです。


自分にできるせめてものことと思って、病院に何度も花を送りましたが、毎回とても喜んでくれていたようです。


この、「せめてものこと」がなんであっても、それをすることが大切なのではないかと僕は考えています。それはその人自身が決めることであって、他の人に言われてするようなことではありません。


とはいえ、愛する人の死期が近づいているときに常に冷静な判断をとれる人の方が、世の中にどれだけいるでしょう? どんな人でも、「ああすれば良かった、なぜこうしなかったのだろう?」といろいろ考えるものなのです。僕もせめて、病院に行けなくても手紙くらいかけたのにと思うことがありますが、大きな後悔はまったくありません。


母の「看護婦さんが見ているから大丈夫」という言葉を聞いて、それを信じて病院を後にしてそれが最後だったのですが、その後普通に仕事を続けて良かったと思っています。ひどいウツと不眠に苦しんで一時期はまったく仕事ができなかった僕が、やっと見つけた自分の天職と思える仕事で頑張っていることが、その当時の母にとっては唯一の希望だったことを知っていたからです。 


母の死期を知りながらも仕事の予定を絶対に変えなかった僕は、傍目には親不孝に映ったかもしれません。でも、自分にできる「せめてものこと」をすることができて良かったとしみじみ感じます。


母は亡くなってから数週間の間、何人もの僕の女友達に「うちの息子をよろしくお願いします!」と言いに行ったようです。本当に、何人もの友人が笑いながら同じことを聞かせてくれるので、「まったくもう、うちの母親は…」と呆れてしまいました。


「自分は同性愛者なので、女性と結婚しない」と何年も前に話してあったはずなのに、やはりこのことだけは母にはなかなか理解できなかったようです。でも、多分母の方も自分にできる「せめてものこと」として、女友達のところに挨拶に行ったのでしょう。(これを読んでいる僕の友人へ。母がわがままを言ってごめんなさい!) 


うちの母とは葛藤がいろいろありましたが、今になってみればすべてが笑い話のようです。人生のすべてもそんなもので、それでいいのではないかと思っています。


すべての方に、絶え間なく愛と光が届きますように。


ジーニー




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